鏡の前でふと、立ち止まった朝。 そこに映るのは、どこか他人のような疲れた顔の自分。 「こんな顔で外に出たくない」そんな気持ちが、心を締めつけました。
でも、そんな私にも、少しずつ変化が訪れました。
そこで今回は、鏡の中の自分を受け入れられなかった日々から、 少しずつ自分にやさしくなっていった“心の変化”をお伝えしようと思います。
あの朝、鏡に映ったのは“嫌いな自分”だった
ある朝、ふと鏡の前に立ったときのこと。 そこにいたのは、明らかに疲れた顔をした私でした。 どんよりとしたまぶた、ぼやけた輪郭、下がった口角。 「なんでこんなに疲れてるの……」と、自分で自分にがっかりしました。
ほんの数年前までは、多少疲れていても「まあいっか」と思えていたのに。 この日は違いました。 「こんな顔で外に出るの、ちょっと無理かも」と思ってしまったのです。
メイクをすれば、少しは気持ちが変わるかもしれない。 そう思ってファンデーションを手に取ったけれど、 重ねるほどに「隠そうとしている自分」が恥ずかしくなって、 途中で手が止まってしまいました。
“自分にがっかりする日”が増えていった
それからというもの、鏡を見るたびに落ち込むようになりました。 髪のツヤがなくなった気がする、肌のハリもない、なんだか全体的に元気がない。 「前はもっとイキイキしていたのに」と過去の自分と比べては、ため息が出るばかり。
外見の変化が気になり始めると、不思議と気持ちも後ろ向きになっていきました。 「どうせ私なんて」が口癖になり、 誰かに会うのも億劫で、メッセージの返信さえ遅くなりがち。
なんとなく人と距離を取りたくなって、 本当は誰かと話したいのに、自分から引いてしまう。 自信を失っていた私は、人との関わりそのものが怖くなっていたのかもしれません。
人と比べては、自分をどんどん嫌いになっていた
さらに追い打ちをかけたのが、SNSでした。 久しぶりにアプリを開くと、キラキラした日常が次々と目に飛び込んできました。
楽しそうなランチ、仲良しの家族写真、美しく歳を重ねた友人たち。どれも素敵で、笑顔がまぶしい。 それなのに私は、鏡を前に立ちすくんでいる……。
その対比に、ますます自分がみじめに感じられたのです。
「この人はこんなに頑張ってるのに、私は……」 「比べる意味なんてない」と頭ではわかっていても、 心は簡単に納得してくれませんでした。
比べることで、自分の価値を測っていた。 でもその“ものさし”は、自分を否定するための道具になっていました。
変わるきっかけは、“ちょっとしたこと”だった
そんな私が変わるきっかけになったのは、 思いがけない“ちょっとしたこと”でした。
ある日、推しのアーティストの言葉を聞いて、涙がこぼれたんです。 「誰かと比べなくていい、昨日の自分より一歩でも進めたら、それでいいんだよ」 そんなメッセージに、心がじんわりと温かくなりました。
同じ推しを好きな友人とLINEで盛り上がったときも、 「なんだか久しぶりに、ちゃんと笑えたな」と思えた瞬間がありました。
特別なことではなくても、自分の心が少しだけ前を向けるようなこと。 そういう小さな喜びを見つけられるようになったとき、 「私も、もう少しやさしくしていいのかも」と思えるようになったのです。
完璧じゃなくても、受け入れてあげる練習
それから私は、朝の鏡の前で「おはよう」と声をかけてみるようになりました。 最初は恥ずかしくて、照れくさくて。 でも、続けているうちに、少しずつ違和感がなくなっていきました。
アイブロウで眉だけ描く。 リップをさっと塗って、鏡の前でにっこり笑ってみる。 たったそれだけでも、心がふっと軽くなるのを感じました。
「きれいにならなきゃ」と思うより、 「今日の自分、悪くないかも」と思えるようになっていくこと。 完璧じゃない自分を、そのまま受け入れてあげる練習を、私は少しずつ始めていきました。
鏡に映るのは、いまを生きている私
今でも、鏡を見るのが嫌な日もあります。 「疲れてるな」と思う日もあるし、 「このシワ、前はなかったのに」と落ち込むこともある。
それでも鏡の中にいる私は、 ちゃんと今日を生きてる、頑張っている“今の私”です。
推し活を楽しめた夜。 おいしいごはんを食べて、少し笑えた朝。 「そんな日もあるよね」と思えたとき、 「鏡の中の自分」にもやさしくなれる気がします。
比べるより、自分を受け入れる。 そんな風に生きていけたら、毎日の見え方が少しずつ変わっていく。
そして今日もまた、鏡の前で「おはよう」と声をかけてみようと思います。
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