更年期で自信をなくしていた私が、もう誰とも比べなくなった理由

マインド

「どうしてあの人はあんなにうまくいってるのに、私は……」 気づけばまた、人と比べて落ち込んでいる。

そんなことを繰り返していた私が、ふとしたきっかけで “比べない”という生き方を選べるようになってきました。

今回は、更年期にさしかかるなかで感じた 「自己肯定感」と「人との比較」のリアル、 そして「自分を満たすことで変われた」私のマインドの変化について、 正直な気持ちをお伝えしたいと思います。

また比べて落ち込んでいる私がいた

NSを開くたび、誰かの幸せそうな投稿が目に飛び込んできます。

「家族で旅行に行った」
「子どもが進学した」
「仕事が順調」
などなど…

どれも自分には関係のないはずのことなのに、 なぜか胸の奥がザワザワして、気づけば深いため息をついていました。

私は私、と分かっているつもりでも、 「どうして私はああなれないんだろう」と つい他人の人生と自分を比べてしまっていたのです。

特に更年期に入ってからは、 気力や体力の低下、自信のなさが重なって、 余計に他人がキラキラして見える時期だったと思います。

それでも、誰かの投稿を見るのをやめることはできなくて、 見ては落ち込み、落ち込んでは「私ってダメだな」と責めていました。

比べることで自分を見失っていた

何をやってもうまくいかない気がしていました。 仕事も家庭も、なんだかパッとしない。 頑張っても報われないような感覚に襲われる日もありました。

そんなときに目に入る、他人の成果や幸せそうな姿。
「私だって努力しているのに」
「どうしてあの人だけ」
そう思ってしまう自分が嫌でたまりませんでした。

だけどある日ふと気づいたのです。 私は、私の“物差し”じゃなくて、 誰かの“物差し”で自分を測ろうとしていたんだなと。

「当たり前に働いて、家事も育児もこなして、 自分の時間も楽しんでいる」ように見える人たち。
でも、それって本当にその人の現実? 私の現実と比べることに、意味なんてあったのでしょうか?

本当は、私にも“大切にしたいもの”があった

他人のことばかり見ていた私にも、 心がふっと緩む時間がちゃんとありました。 それが「推し活」だったのです。

ライブ映像を見て、元気をもらって。 雑誌のインタビューを読んで、共感して涙して。 静かに、でも確実に、私の心を支えてくれる存在。

推しの言葉に励まされたり、 同じ推しを好きな友人とLINEで盛り上がったりする時間は、 誰かと比べて落ち込む暇もないほど夢中になれるひとときでした。

「この時間が、私には必要なんだな」と思えたとき、 少しずつ、他人に目を向けるのをやめられるようになったのです。

自分を満たしていくと、自然に比べなくなった

人との比較で苦しくなるのは、 たぶん心に余裕がないときだったからだと思います。 自分に自信がないとき、 どこかに“安心材料”を求めてしまうのかもしれません。

だけど、推し活という“自分の好き”に向き合う時間が増えると、 人の投稿を見ても「あ、いいね」って素直に思えるようになりました。 それが自分にないものでも、羨むというよりも、 「その人はその人、私は私」と思えるようになっていったのです。

もちろん、たまに心がざわつくことはあります。 でも、「今日は疲れているからだな」とか 「ちょっと気持ちに余裕がないのかも」と気づけるようになりました。

自分を責めるのではなく、 「自分を大切にできていないかも」とサインに変えられるようになったことは、 私にとって大きな進歩でした。

他人との比較よりも、「今日の自分の心地よさ」を大切にしたい

比べてばかりだった日々。
自己肯定感が下がり、 「私なんて」が口癖のようになっていた私。

でも今は、「自分の心地よさ」を軸に生きてみようと思っています。

推し活を楽しめる時間。 心が落ち着く空間で、ゆっくりお茶を飲む時間。 誰のためでもない、自分のためのひととき。

他人と比べて勝ったり負けたりする人生より、 「今日はちょっと機嫌よく過ごせたな」って思える日々のほうが、 私にとってはずっと価値があります。

更年期で、体も心も揺れやすい今だからこそ、 無理に頑張らず、自分を満たす時間を大切にしていきたいと思います。

そして、誰かと比べそうになったら、 「私は私」と笑える自分でいられたらいいなと思っています。

推し活の話は、こちらも読んでみてください。

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